黙殺 報じられない“無頼系独立候補”たちの戦い

(畠山 理仁)

40年ほど前になりますが、参議院選挙に立候補した東郷健という人物の演説をテレビで見ました。雑民党総裁。彼は自身が男色で、今でいう LGBTや貧困層、部落出身者などの差別や偏見をなくすべきだと語っていました。

彼の主張からは信念を感じられましたが、私には「世の中には変わった人がいるな」と上っ面の感想だけで通り過ぎました。

そのあたりから、選挙の政見放送を好んで見るようになりました。特に参議院選挙。泡沫候補と言われる人たちが、たくさんいて自説を張ります。正直言って彼らは私の投票の選択肢にはなりえないので、東郷健さんと同じように「変わった人」の人物像を想像する、バラエティ番組のような感覚で見ていたのは事実です。

本書は、泡沫候補では失礼だ、「無頼派候補者」と言い換えて、彼らが立候補した選挙での行動を追ったノンフィクションです。

いま日本で最も有名な無頼派候補といえばマック赤坂さんですが、著者は彼を10年間にわたって密着取材して、彼の本質に迫ります。スマイル党党首として、口角を上げるスマイルセラピーのポーズで笑いを取る。いや笑いを取ってるわけではない。

彼は訴えるべき政策を持っており、それは全く納得させられるものなのですが、マスコミは彼を泡沫候補として扱い、政策を追うことはしない。そのために彼は、選挙でいかに目立つか、異端的な出で立ちや行動をとっている。奇策を積んでいる。10年間で数万票を獲得するまでに知名度を上げた。

他の無頼派候補たちも、それぞれ主張を聞けば、納得するものを持っています。例えば2016年の都知事選挙に出たある候補は、「誰もがほどほどやっていける社会。みんなが納得行く社会。毎日向ぼっこしてでも許される社会。」とスローガンを掲げる。話を聴いていくともっともだ。政治家として活躍できる素質があるかどうかはわからないけれど、抽象的かつ総花的な公約をばらまくばかりの候補者より、傾聴に値すると思います。

彼らの主張を読んでいると、主要政党の候補者の主張がとても薄っぺらいものに見えてきて、素直に耳を傾けると、政治とはなにか政治家とはなにかと考えさせられました。

また、選挙民には立候補の自由がある。しかし、日本の国会議員選挙の供託金は300万円。この制度自体世界ではあまりないそうで、この金額を用意し、面倒な書類を整えてまで選挙に出てくるには、それだけで行動力や知的レベルも相当のものです。日本の政治家は政治に国民に政治に関心がないと嘆きつつ、参入障壁をあげて既得権益を守っている 。

本書には感動させられました。みなさんにもぜひ読んでいただきたい。星5つを超えて星6つを差し上げたいところです。

(2018/01/12読了 ★★★★★)

(追伸)

以上を書き終えた後で、河北新報の書評に本書があったので、ワンフレーズを引用させていただきます。

(略)泡沫候補と呼ぶ。選挙が終われば、泡のように消え去ると揶揄する言葉だ。しかし、マック赤坂は消え去らなかった。泡沫と呼ばれた彼は、10年間消えず、弾けず、どことも結ばず、政治の流れの中で一人もがき続けた。むしろ、主要候補とされた政治家の多くが、選挙で負ければ泡のように消え去り、または別の泡に変わり果てた。本当の泡沫はどっちだ?
(藤岡利充 河北新報2018/01/14)

 photo by p.v via frickr

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